北欧バルト三国の1国であるエストニア共和国の電子政府システムは非常に有名です。そのエストニアの電子政府やベンチャー支援の仕組みを紹介した書籍『未来型国家エストニアの挑戦』の出版記念セミナーに参加してきました。著者の1人、ラウル・アリキヴィさんの講演に基づいて、エストニア電子政府の挑戦から目に留まった点を記します。

(1) 「重複を避ける」「ノーレガシー」を政策化

興味深かったのが、「ICT技術開発の重複を避けること」「システム陳腐化を防ぐこと」がルールとして共有されているということです。

政府や自治体のシステムは予算もガバナンスも縦割りなので、似たようなシステムを違う会社で作っている──日本に住んでいる私たちは、こんな話をよく聞かされています。エストニアの電子政府システムでは重複開発を避けることを目的として、データベースの複製を許さず、多数のシステムを共通のシステム間連携基盤(X-Road、詳しくは後述します)で結んだ分散型システムとしています。「重複を避ける」ルールをシステムアーキテクチャに落とし込んでいるわけです。政府横断的なITガバナンスがないと無理なやり方と言えるでしょう。

もう一つ注目したいルールが「ノーレガシー」政策です。

13年以上古いシステムは使わない

ことがルールになっていて、システムの陳腐化やレガシー化を防ぎます。新旧のシステムが混在している状況は情報システムの構築や改修の難易度を高めてしまいます。「システムが古過ぎ、ブラックボックスになっていじれない」といった問題をよく耳にしますが、そのような状況を防ごうとしているわけです。

(2) eID(ICカード)であらゆる手続きをオンライン処理可能に

エストニアは政府が発行した電子的な証明書(ICカード)を15歳以上の国民に所有を義務付けています。このICカードは約300種類のサービスで利用可能になっているとのことで、あらゆる行政サービスがこのカードを使って実施可能となっています。運転免許証、健康保険証、鉄道の定期券、銀行カードとして使うことができ、契約書へのデジタル署名、選挙への投票などに使います。いまやエストニアでは「結婚と離婚以外の手続きは役所に行かなくてもいい(=オンラインで可能)」といった状態になっているそうです。

会社設立の手続きも電子化されていて

「平均18分で会社を設立できる」

とラウルさんは説明します。

ICカードさえ持っていれば、例えば「アジアとアフリカのそれぞれに滞在している人同士が、デジタル署名を使ってエストニア法による契約を締結する」ことも可能になっているとのことです。これはビジネスのスピードを高める上で非常に有用と言えるでしょう。

ところで、eIDが普及しているということは、国民の所得の捕捉率も高いということです。「エストニアには税理士はいない」という『ものの言い方』があるそうですが、届け出を出しておけば、税金は申告しなくても自動計算して口座から引き落としてくれるとのこと。電子化により行政を効率化すると同時に、徴税も効率化し、各種手続きの手間も減らすことで、国全体として効率を高めようとするのが基本的な考え方と言えるでしょう。

(3) 電子政府システム間連携の仕組みX-Roadを整備

エストニア電子政府(e-Estonia)のシステムは分散型のアーキテクチャを採用、その中核部には「X-Road」と呼ぶシステム間連携基盤があります。

同国のWebサイトには「X-Roadはe-Estoniaのバックボーン」であり

e-Estonia(エストニア電子政府)の要は、そのデータベース群が非集中化(decentralized)されていることである

とも書かれています。

エストニア電子政府では徹底して分散型のシステムによるリアルタイムな情報連携を重視しているのです。同国のWebサイトによれば、このX-Roadは2000種以上のサービスが利用しており、900以上の組織が日常的に使っていて、2013年の1年間で2億8700万クエリを処理したそうです。

各種政府機関はそれぞれ「独立に最適な技術を利用」しつつ、他のシステムと連携できます。X-Roadのプロトコル仕様書によれば、内部的にはSOAP1.1、WSDL1.1などXML Webサービスの技術を用いています。汎用性が高いXMLベースのプロトコルを使い、政府機関が抱える多数のデータベースを連携しているのです。X-Roadは2001年に導入されたということですが、SOAP、WSDLは当時登場したばかりの技術でした。新技術の取り入れについても、エストニア政府はチャレンジャーと言えるでしょう。

おもしろいのは、このX-Roadを民間企業が利用することも可能だということです。『未来型国家エストニアの挑戦』の著者の1人であるラウルさんはIoT分野のスタートアップ企業を立ち上げたのですが、IoTのノードで収集した情報をX-Road経由でやりとりする仕組みを作ろうとしているそうです。

「X-Road」の概念図
「X-Road」の概念図。中心にシステム間連携基盤X-Roadがあり、多数の政府システムのデータベースを相互連携する(資料:エストニア電子政府の公式サイトから引用。 )

(4) 「1000万人」を目標とするe-Residency

ここまで読んできて、「日本人にはエストニアの話は関係ない」と思う読者の方もいるかもしれませんが、日本にいても同国のシステムを利用できる手段が登場しました。日本人を含むエストニア非居住者が、エストニア政府が発行するICカードを取得できる「e-Residency」と呼ぶ制度があるのです。

e-Residencyの取り組みは「2025年までにエストニア人口を1000万人に増やすにはどうすればよいか?」という問いから生まれているとのことです。物理的に同国に居住している人口は130万人ですが、インターネット上でエストニア政府や民間企業が提供するサービスを利用する人口を1000万人にする方法はあるのではないか──それが、エストニアの非居住者にICカードを発行する取り組みです。

日本人がe-Residencyのカードを取得するには、同国のWebサイトから申請して、日本のエストニア共和国大使館に出向いてICカードを受け取る手続きを経ます。カードを受け取る際には、大使館員がパスポートと本人を見比べて身元を確認します。

つまり、日本人がe-Residencyのカードを所有している場合
それは

「その人が日本のパスポートを持つ日本人であることをエストニア政府が確認した」

ことを意味します。
強力な存在確認(本人確認)の手段と言えるでしょう。

このカードはビザや永住許可証ではなく、このICカードを持っていてもエストニア国民向けの行政サービスを使えるわけではありません。とはいえ、「一国の政府が自分の身元を電子認証してくれる」と考えると興味深い仕組みです。

エストニアでは、このカードの利用方法のアイデアソンを政府主導(!)で各国において開催しています。2016年3月には東京でも開催されています。

実際にe-Residencyカードの利用事例も出始めています。「最初のブロックチェーン仮想国家」として名乗りを上げるNGO団体であるBITNATIONは、同団体が運営するオンライン公証サービスでエストニアのe-Residencyカードを使えるようにしています。これは結婚証明書や契約書のような任意の文書の真正性を、エストニア政府が発行したe-Residencyカードによる電子的な存在証明と、それに改ざんが事実上不可能な記録手段であるブロックチェーンの組み合わせにより保証するサービスです。

また米サンフランシスコのスタートアップ企業であるStamperyは、同社のブロックチェーンに基づく認証サービスでエストニア政府が発行するe-Residencyカードを存在証明に使えるようにしています。エストニア政府による存在保証とブロックチェーンの組み合わせは興味深いアイデアです。

以上のようなエストニア電子政府の取り組みは、非常に挑戦的で興味深いと感じます。同国の隣国のフィンランドもIT先進国として知られていますが、そのフィンランド人に言わせれば「エストニアはリスクテイカー」という評価になるそうです。