大学生がエスプレッソの味を完全自動化!?Connoisseur 〜新たな体験を切り拓く革新的システムに迫る〜
エスプレッソはコーヒー愛好家の間で王道と称される、最高の一杯です。しかし、本当に素晴らしいエスプレッソを淹れることは非常に難しいとされています。立命館大学理工学部の学生である岡田拓真さんは、高校2年生の時に初めて飲んだ一杯に魅了されました。この経験から彼は「エスプレッソとは感動そのものである」と考えるようになり、それが後に彼の技術開発の原点となりました。そしてこの開発は2023年度に未踏IT人材発掘・育成事業として採択されました。(未踏IT人材発掘・育成事業についてはこちらをご覧ください)
エスプレッソとの出会いと質を求める旅
岡田さんとエスプレッソの出会いは、6年前の高校2年生の時、スターバックスで初めて飲んだ一杯にまで遡ります。そのとてもジューシーでフルーティーな風味に感動し、家でも同じ味を楽しめないかと考え、すぐにエスプレッソの作り方を調べ、手頃な価格のマシンを購入しました。ここから、彼とエスプレッソの旅が始まりました。1万円、2万円、5万円、そして10万円とエスプレッソマシンのグレードを上げていく中で、マシンの違いがエスプレッソの質にどのように影響するかを徐々に理解していきました。安価なマシンと業務用に近い高価なマシンとでは、出来上がりに大きな違いがありました。後者は圧倒的に味が良かったのです。前者ではおよそ10%の割合でしか美味しいエスプレッソを作れませんでしたが、後者では60~70%の割合で美味しいエスプレッソを作ることができました。
通常、エスプレッソの液面にはキメ細かい3層構造のクレマという乳化した泡が浮かび、これがコーヒーの香りを閉じ込め、粘度の上昇によってトロトロとした食感を生み出します。しかし、マシンの価格による機能の差により、安価なマシンでは乳化が不十分で、下図のようにしっかりと泡が立たないことがありました。この違いは、マシンがプラスチック製か金属製か、サーモスタットかPID制御かという温度制御方式の違いによるものでした。サーモスタットに比べ、PID制御は微分積分を用いることで、より精密な温度管理が可能となり、エスプレッソを一定の温度で抽出することができます。この温度は、エスプレッソの質にとって重要なパラメータです。このようにして、岡田さんは高価なマシンほど美味しいエスプレッソが淹れられることを実感し、質の追求により一層熱心になりました。
AIとオープンソースのトレンドから着想を得る
大学に進学してから、岡田さんは世界中のエスプレッソコミュニティとそこで公開されているオープンソースの動向に大きな関心を抱くようになりました。そこには、岡田さんと同じようにエスプレッソの質に悩む人々が世界中にたくさんいて、マシン改造事例がたくさんありました。例えば下図左上のGregory Chen氏は、PID制御が組み込まれていないマシンにRaspberry Piを取り付けて、マシンの制御を可能にするespresso-controllerをオープンソースとして公開しています。岡田さんもこの事例を利用しました。Norm Sohl氏のGAGGIUINO+HardwaerやJohn Buckman氏のDecentなど、YouTubeにはさまざまな改造マシンの評価動画があります。これらの事例では、従来の製品では実現できなかった、より精密な制御が可能になっていました。
岡田さんも大学2年の時にPID制御装置を自身のマシンに取り付け、美味しいエスプレッソを楽しむことにしました。しかし、すぐに新たな問題が浮かび上がりました。既存のオープンソースでは抽出までの制御が可能でも、その後のエスプレッソの質の評価はバリスタの仕事であることに気づいたのです。温度を精密に制御しながら、抽出後の違いまでコンピュータが解釈するためのソフトウェアの必要性を痛感しました。これは、すべてをコンピュータが評価し、バリスタが不要な新たなエスプレッソの世界を切り拓くことを意味します。
自動制御・評価システムの開発
そこで岡田さんは、抽出時の微妙な違いを理解するために、マシンにセンサーを設置し、抽出状況をリアルタイムで表示しながら、抽出後の評価までを自動化するシステムを開発しました。バリスタが行う繊細な判断を、コンピュータが微妙な抽出状況を理解し、味をコントロールする完全自動のエスプレッソ制御・評価システム「Connoisseur(カノサー)」です。Connoisseurは、食べ物などの特定の分野の専門家や目利きという意味があります。
connoisseurの全体構成を説明します。大きく分けて3つの機能があります。まず、自動制御ソフトウェアです。これは起動後に抽出温度を98度に設定すると、そこから温度を徐々に上昇させます。抽出と蒸らしを自動で行い、設定量を抽出すると自動的に停止します。これは、既存のオープンソースで実現できている蒸らしと抽出の自動制御に加えて、抽出状況の詳細な表示、温度推移と動画のデータベース記録、乳化量解析などの機能も実現しています。ボタンの状態も確認し、ハードウェアとソフトウェアが連動しているような状態になっています。また、乳化量解析のための動画もこのソフトウェアからサーバへ転送されます。
次に、ハードウェア制御についてです。抽出後の評価のためにポンプ、重量計、カメラを設置し、自作の制御基盤を使用しています。
エスプレッソは一般的に30秒で抽出します。そのため、当初は抽出時間を30秒に固定することで重量計を使用する必要がないと考えていましたが、実際に30秒にすると温度の違いにより抽出効率が大幅に変化することがわかりました。これはバリスタが感覚で理解している部分ですが、コンピュータでも同様の制御をできるようにすることがプロジェクトの新たな目的の1つとなりました。
3つ目の泡の量の変動を可視化するための乳化量解析について説明します。これはさくらインターネットのGPUを使ったサービス高火力を利用しています。高火力を用いることで、ローカル環境では膨大な時間がかかる処理を高速に行うことが可能となりました。解析にはPythonを使用し、物体検知(Grounding DINO)とセグメント(Segment Anything)と自作の層構造推定アルゴリズムを組み合わせて、3層構造の推定を行っています。解析の流れは以下の通りです。
- コップの物体検知を行う
- フレームに対しセグメントを適用し、コップを塗りつぶす
- 1pxごとに代表色を決め、グループ化する処理を行うことでノイズを除去し、3層構造の画像を作成する
作成した画像の推定結果は下図の右端の図に示されており、一番下が89px、中央が136px、一番上が23pxの厚みで、3層に分かれていることが分かります。
層の厚さをpxで表現するため、下図に示す手順で進めます。まず、動画フレームを切り出し、その中からコップを特定し、マスクを適用します。マスクがかかっていない部分を塗りつぶし、その後、代表色に変換します。さらに、ノイズを除去して層の連続性を確認し、3層構造を推定します。背景色は0層と判定されますが、連続性を見ているため0層は判定から除外されます。これらの手順を重ね合わせ、同じ結果が得られることを確認します。
また、1フレームだけでなく、動画のすべてのフレームに対してこの処理を行っても、抽出量が徐々に増加し、層の揺れも認識できていることがわかります。下記の動画を見て実際に確認してください。この結果をグラフに落とすと、3層構造の増加が視覚的に確認できます。岡田さんは、抽出温度が泡の量にどのように影響するかを知りたかったため、この処理を行いました。
このソフトウェアでは、最初に抽出を行うとマシンに設置したカメラにより自動的に動画が撮影されます。抽出が終了すると、抽出の情報が表示されるようになります。クオリティログのタブでは、これまでの抽出の状況を確認できます。このタブには多数の動画が含まれており、ここからボタンを押すことで動画がサーバに送信され、サーバで動画が処理された後に結果が表示されます。処理時間は、1フレームの処理に約1秒かかり、約60フレームの処理に約1分かかるという形になっています。
抽出温度を86度、90度、94度、98度に変化させた時の一番上の層の変化を確認しました。このプロットは30回の抽出をもとに作成されたもので、中央値を見ると、90度が最も高い値となります。特に90度と98度の間に大きな差があり、90度の方が98度よりも泡の量が多いことがわかりました。
分散分析(ANOVA)を使用して実験誤差と温度設定の影響を比較し、Pr値が3.7%であり、5%の有意水準を下回っていることが判明しました。これにより、実験誤差ではなく、温度設定が泡の量に大きな影響を与えることが示されました。
また、どのグループ間に温度設定による影響があるかをTukeyの多重比較を用いて確認しました。調整後のp-adj値は4.8%であり、通常の5%よりも低い値です。特に90度と98度の間で、乳化量の平均に有意な差が存在することが確認されました。結果として、温度が泡の量に影響を与えることが示唆されました。一方、86度と98度に関しては、P-adj値が5.4%であり、5%を超えているため、有意とは言えませんが、実験精度を高めることでこの差をより正確に捉える可能性が示唆されました。
connoisseurはエスプレッソの微妙な抽出条件の違いを理解することを目的とした、温度を精密に制御できる装置になりました。抽出後には、コンピューターが乳化量を評価し、エスプレッソの質を評価します。また、統計的に温度の違いによる有意な差異があることを確認されていました。
抽出温度と乳化の関係を解明
岡田さんはConnoisseurによる革新的な体験を一般向けに提供すべく、実際に京都のマルシェで出店しました。ケニア産の豆の抽出温度を変えることで、同じ豆にもかかわらず3つのフレーバーが楽しめるエスプレッソを準備し、消費者からも「温度によるフレーバーの変化を実感できた」との高い評価を得ることができました。
この取り組みで、岡田さんは抽出温度と乳化の関係を解明しました。温度によって泡の量、つまり乳化の程度が変わることが実証できたのです。今回、ケニア産の豆を86度から98度まで変えて抽出したところ、90度で乳化量が最大になることが分かりました。統計的にも90度と98度の間に有意な差があることを確認できました。さらに、驚くべき発見もありました。温度別に抽出したエスプレッソを実際に飲んでみると、フレーバーの印象が大きく変わったのです。例えば80度で完熟マンゴーの風味、90度で若々しいマンゴー、そして98度で酸味のあるマンゴーへと変化していきます。フレーバー体験に大きな変化をもたらすこの発見は、エスプレッソの新たな境地を切り拓く大発見となりました。
エスプレッソの未来への挑戦
更なる飛躍を目指し、岡田さんは以下の展開を計画しています。
- フレーバープロファイリングの確立と拡充
- 成分分析装置での揺らぎの定量的な確認
- 一般向けマシン開発と特徴的な豆の提供
- 神田での出展計画
終わりに
オープンソースの活用によって、岡田さんはエスプレッソの質を可視化・数値化する革新的なシステムを実現しました。このシステムは温度と風味の関係性を明らかにし、エスプレッソの新たな可能性を示す大きな進歩となりました。エスプレッソ文化に新たな局面を切り拓こうとする岡田さんの挑戦は、これからが本番です。