「なめらか」を求めて 〜TEDxHokkaidoU 2025レポート〜

はじめに

さくらのナレッジ編集部の法林です。

さくらインターネットはさまざまなITコミュニティの活動を支援しています。その一環として、北海道大学を中心とする学生の皆さんにより運営されているTEDxHokkaidoUに対してサーバを提供しています。そこで本記事では、7月6日(日)に開催されたTEDxHokkaidoU 2025の模様をレポートします。会場は札幌市内にあるエア・ウォーターの森でした。2024年冬に誕生したばかりの真新しい、そして緑に囲まれた美しい建物が印象的でした。

TEDxHokkaidoUについて

イベントの模様をレポートする前に、TEDxHokkaidoUについて簡単に紹介します。

TEDは"Ideas change everything"(アイデアがすべてを変える)というスローガンの下、さまざまな分野の専門家や著名人が知識や経験を共有する講演を実施している非営利団体です。そのTEDの精神を受け継ぎ、TEDから正式なライセンスを取得して独自に活動しているコミュニティがTEDxで、世界130か国以上に存在します。日本にも多数のTEDxコミュニティがあり、TEDxHokkaidoUもその1つです。ちなみに当社が支援しているTEDxコミュニティは、他にもTEDxNagoyaUTEDxSapporoがあります。

TEDxHokkaidoUのイベントは2015年に初回が開催され、以後毎年に近い頻度(コロナ禍の期間を除く)で継続的に開催されています。TEDのウェブサイトにて過去の開催履歴を参照することができます。

TEDxHokkaidoU 2025 なめらか

TEDxHokkaidoUは毎回テーマを設けて開催していますが、今回のテーマは「なめらか」でした。まずは公式サイトからテーマの説明文を引用します。

言いかけて、やめた言葉。口にした瞬間、空気がすっと変わったあの場面。コミュニケーションには、目に見えない摩擦がつきまとう。立場や世代、経験の差が、言葉のあいだにひそむ。けれど、同じ目的を共有したり、誰かを介して関係がほどけたりすると、不思議と前に進める瞬間がある。
分かり合えなさを前提にしながらも、それでも、相手を感じたい、理解したいと思い合うとき、ふと何かが溶け合い、人は「一緒にいる」と感じられるのかもしれない。
ただ、境界を少しずつあたためるように。
あなたにとっての「なめらか」って、どんな状態ですか?

今回のイベントでは、トークセッションやワークショップを通して「なめらかなコミュニケーションとはどのようなものか」を参加者とともに考える、そんなプログラムが編成されました。

トークセッション会場

プログラム一覧

TEDxHokkaidoU 2025で実施されたプログラムは以下の通りです。この他に展示やアフターパーティーもありました。

[トークセッション]

  • 寺農織苑さん: ビデオゲームのアーカイブについて
  • 那珂慎二さん: 声を可視化する補聴グラスの開発物語
  • アロンソ・モンテロさん: ラドンの脅威と測定について
  • 松岡亮さん: 火星の2つの衛星(ダイモス/フォボス)について
  • ソガイハルミツさん: オーガニックなライフスタイルについて

[ワークショップ]

  • 「なめらか」を感じる
  • 未来を対話する ー多様な「聞こえ」から共に"つながる"社会をひらくー
  • 地学の世界を体験しよう!

本記事ではこれらのプログラムの中から、寺農さんのトークセッションと、ワークショップ「『なめらか』を感じる」を中心にレポートします。

ビデオゲームのアーカイブについて

寺農さんは京都府の城陽市歴史民俗資料館にて主任学芸員を務めています。ビデオゲームのアーカイブ方法を模索・研究していて、北海道大学で博士号を取得したときの論文も「ミュージアムにおけるビデオゲームアーカイブズ考:展示評価実践によって顕在化した来館者のニーズと現状との差異」というものでした。

寺農さんの博士論文

ビデオゲームを網羅的に記録する方法の一つとして、データベースの構築・運用があります。日本国内に存在する著名なビデオゲームのデータベースとしては、立命館大学ゲーム研究センター(RCGS)の所蔵品を検索するためのシステムであるRCGSコレクションや、文化庁によるメディア芸術データベースといったものがあります。

しかしこれらのデータベースは、そのゲームが存在したことはわかりますが、それが世の中の人々にどのように受け入れられ、どうやって遊ばれていたかというようなことまでは知ることができません。寺農さんはこの点に着目し、ビデオゲームを、その使われ方を含めて記録し展示することを考えるようになりました。

ファミリーコンピュータ本体 (資料提供:寺農織苑さん)

例えば、1983年に任天堂から発売され大流行したファミリーコンピュータ(ファミコン)は1935万台が出荷されました。ファミコンは今でも根強い人気があり、中古ゲーム市場で取り引きされています。寺農さんが購入した中古のファミコン本体には保証書も付いていました。それを見ると、販売店や購入した日付などが記載されています。こういった情報から、この本体はどの年代にどの地域で使われていたかがわかります。このように、ビデオゲームを購入しそれを使った人達の用途や思い出は、その台数分だけあるはずです。これを併せて展示することで、展示により深みを持たせようという試みです。

また、寺農さんは博物館(ミュージアム)に勤務していますが、ミュージアムの主な役割は3つあります。調査・研究、収集・保管、教育・展示です。これらの役割の中心に存在するのが「資料」です。ビデオゲームのミュージアムであれば、ゲーム機の本体、ゲームソフト、関連するドキュメント(マニュアルや攻略本など)といったものが資料になり得ます。しかし、仮に城陽市のミュージアムでファミコンを展示するとして、そこにファミコンそのものを普通に解説した文章を添えても、城陽市で展示するにあたってはあまり付加価値がありません。上記の資料収集という観点で見ると、城陽市でどうやってファミコンが遊ばれたのかという資料が不足しているということです。

城陽市での利用エピソードが盛り込まれたファミコンの解説文 (資料提供:寺農織苑さん)

そこで寺農さんは、展示するファミコン本体の入手経路を調べ、城陽市でどのように使われていたかを解説文に盛り込みました。例えば上記のスライドで示すように、ある本体は城陽市内の玩具店で試遊機として使われていたことと、あわせて当時の玩具店の状況を説明するような解説文にしました。このように、同じファミコン本体でも個体ごとに異なるストーリーを盛り込むと、各地で展示する意義が出てきます。また、展示にストーリーを盛り込む別の方法として、展示品に関する思い出を来場者に書き込んでもらい、それを併せて掲示する試みも行いました。

現在発売されているゲーム機やソフトウェアも、数十年経てば同様にレトロな機器として扱われるでしょう。そのような機器を紹介するときのために、今から思い出を残しておくと価値が出るかもしれないと思いました。それから、筆者が関わっているコミュニティの中には数十年の歴史を持つものもあり、それらの活動をアーカイブしていくことが課題のひとつになっているのですが、そういった観点からも示唆に富むトークでした。

その他のトークについて

その他のトークについても内容を簡単に紹介しておきます。

声を可視化する補聴グラスの開発物語

那珂慎二さんは聴覚障害者向けの次世代AR補聴デバイス「補聴グラス」を開発し、聴覚障害者の情報格差解消や社会参加を推進していますが、今回のトークはその補聴グラスを開発するきっかけや、開発したことで起きた変化について発表されました。日本にはおよそ10人に1人の割合で何らかの聴覚障害を持つ人がいます。そういった人達が障壁なくなめらかにつながりあえる世界を実現したいとのことです。

ラドンの脅威と測定について

アロンソ・モンテロさんはラドン元素の測定・対策を行っている研究者です。ラドンは建物の隙間から室内に侵入し人体に取り込まれます。これが蓄積すると肺がんの原因になります。日本における測定では30-40%程度の家屋でWHOが定める推奨基準値を超える結果が出ていますが、日本国内ではまだ基準が定められておらず、規制や対策がなされていません。それをこれから推し進めていきたいとのことです。

火星の2つの衛星(ダイモス/フォボス)について

松岡亮さんは地球の成立過程を研究しています。太陽系の惑星のうち内側に存在する水星・金星・地球・火星は「岩石惑星」(主に岩石で構成されている惑星)であり、岩石惑星には水がないはずなのですが地球には水が存在します。この謎を解明するために、火星の衛星の1つであるフォボスの成立過程を調査しています。水や有機物が多い小惑星(氷微惑星)が火星の引力に捕獲されて衛星になったという仮説があり、JAXAが2026年に打ち上げる火星衛星探査計画(MMX)でフォボスの砂を持ち帰って調べることを計画しています。

オーガニックなライフスタイルについて

ソガイハルミツさんは北海道でオーガニック農業を実践しています。今回のトークでは農業の構造を全体化して考えてみるというアイデアを提示されました。野菜の旬は光と水を二軸とするグラフの面積が大きくなる時期であるという話や、農業をマズローの欲求階層説に例えた話などがありました。

ワークショップ「『なめらか』を感じる」

トークセッションの前半と後半の間にワークショップがありました。3つのワークショップが並行で開催され、筆者はその中の「『なめらか』を感じる」に参加しました。

こちらのワークショップでは、まず参加者を各6人程度のグループに分けました。そしてグループ内で各々の自己紹介を行った後、2つのグループワークを行いました。

過疎地域における路線バスの削減に関するグループディスカッション

過疎地域において乗客が減少しているため路線バスを削減したいという話が持ち上がっているという設定の下、その是非についてディスカッションするというグループワークです。

ここでポイントとなるのは、事前にグループのメンバーに「役場の人」「バス会社の人」「高齢者」「高校生」などの役どころと各々の事情が記載されたカードが配られ、その立場になりきってディスカッションに参加するところです。背景や事情が異なる人々がいかにして円滑にコミュニケーションを行うかが試されるグループワークでした。

好きな話題で話し手と聞き手を体験

もう1つのグループワークは、好きな話題で話し手と聞き手を体験するというものです。

はじめに2人の組を作ります。そのうち1人が話し手、もう1人が聞き手になります。話し手は自分の好きな話題を1つ選び、3分間その話をします。その間、聞き手は質問や話を遮ることは禁止で、ひたすら話を聞いて記憶します。話が終わったら、聞き手は話の内容をできるだけ精細に再現します。これが終わったら話し手と聞き手を交代し、同じことを行います。ちなみに筆者のグループは3人組になったので同じことを3回やりました。

このグループワークは、相手の話を聞いて理解することでなめらかなコミュニケーションに役立てようというものですが、やってみると記憶だけに頼ろうとしてもなかなか頭には残らないもので、コミュニケーションの難しさを感じました。

上記のスライドにもあるように、なめらかなコミュニケーションを成立させるには合意の形成が必要ですが、それを得るまでには意見の表出や衝突といったものがあり、伝えたいことがうまく伝わらないという過程を経て、それをなんとか伝えて理解してもらうことでようやくなめらかなコミュニケーションが成り立つことがわかりました。

おわりに

閉会式であいさつする奥田さん

閉会式において、TEDxHokkaidoU 2025運営チームの奥田健さんから「今回は『なめらか』というテーマで開催しましたが、なめらかにつながるのは難しいことだと思います。それはワークショップで皆さんも体験できたのではないでしょうか」という話がありました。確かに世界中の至るところで、コミュニケーションが円滑ではないために起きている紛争がたくさんあります。もっとなめらかにつながることができたら、世の中の争い事の何割かは減るのではないかと、そんなことを思いました。

本レポートを書くにあたり、ご協力いただきましたTEDxHokkaidoUのスタッフの皆さん、発表者の皆さんにお礼申し上げます。ちなみに記事中で使用した写真の大半もスタッフの皆さんからご提供いただきました。ありがとうございます。

それではまた、次回のイベントでお会いしましょう!